社会人なってから振り返ってみた
たまに自分に目を向けて見ると
と考えることがある。
ちなみに、もしあの頃に戻れたとしても同じ決断か、新卒フリーランスで独立していただろう。
社会人1年目
入社式では熱い先輩社員達が、大歓迎をして入社をお祝いした記憶が印象的だった。
でも、生意気な性格と知識のない割にプライドだけは高い俺には、根性を叩き直すには丁度良かっただろう。笑
入社式で改めて約200人の同期達を目の前にすると大きい会社なんだな。と思った。
同期が多すぎて正直同じ研修のメンバーしか覚えていないし、研修で別れるので、入社式終わったら一生会わないだろう同期もいるから今考えると大企業ってすごいな。って思う。笑
白衣を貰い臨床へ
僕の配属は、都区内の整体のお店。料金は自費の為、1回約8,000円もする。
ど田舎の山形から出てきた僕は、1回8,000円なんて高すぎす!って思っていたが、都内の人は当たり前のように払っているのを見て唖然とした。笑
生意気な僕は、余裕で色んな人の身体治せると思っていたが、専門で習った事はそんなに役に立たなかった。、
高いお金を貰っているのに本当に申し訳なかった。
また、職場の先輩達も、技術高めたい。色んな人を治したい。という想いも無ければ、勉強している訳でもないし、会社の研修も嫌々行っているのを見て温度差を感じた。
当時のこの思いが無ければ、今も適当に仕事をしていただろう。
上司からの言葉は今でも忘れない
体育会系の会社の為、よく言われる『ブラック上司』がいた。僕はその人のことが大っ嫌いだったが、1つの言葉のプレゼントを頂いた。
夢や目標を叶えたいなら休みの日こそ行動しなさい
僕が、今でも忘れない言葉だった。あの時の言葉が無かったら間違いなく今の僕はいない。
もう、会うことはできないかもしれないが、もしお会いしたら心から感謝を伝えたい。
社会人1年目から、休みの日に行動したり、学ぶ為にセミナーに行ったりそこで今のマインドが造られた。
2年目。初めて部下を持つ。マネジメントの難しさ
2年目に入り、僕の元に3人の新入社員が入っていた。
1人につき1人のブラザーと呼ばれる、お世話係がつく。
僕にも1人ついて、僕はその子を3人の中でも一番の成績を残させてあげたかったし、一番成長して欲しかった。
この想いが空回りして僕は、大失敗をする。
この子が、周りの同期から避けられどんどん組織が崩れていったのである。
しまいには、僕の部署全員が鬱状態になり、仲が悪い組織へとなっていった。
その後、退職者がどんどん出た。
もちろん、その新卒の子の原因でもない。
みんなの意識疎通が崩れ始めた時、僕含めみんながそれに対して、背をけたことことが原因だと思う。
僕自身もみんなに対して本当に申し訳なかったと今でも思っている。
退社を決意し独立へ
2年半勤め上げ、技術も身についたところで退職。
上司や他の同僚達から、僕は印象は良くなかった。今考えると当たり前だ。新卒で入社した時から生意気で、上の人に逆らって組織を崩して、敬語も使えない野郎だったからだ。笑 終いには、上司が開く勉強会に対して、レベルが低すぎて行く必要ありません。などと言っていた。笑
社会不適合者中の社会不適合者だと思う。笑
もちろん、送別会もしていない。お前らに見送られたくもないわ!と心の底から当時は思っていた。笑
病める時も、
フリーで食べていくなんて無理だ。
あと2~3年はやってから独立した方がいい
お前じゃ無理だ。
本当に色んな人に止められたし、否定された。
でも、今考えるとその人達は、独立した事がない人達なのだ。
僕の中の覚悟は、誰になんて言われても変わらなかった。
会社を辞めてもどうにかなる。
会社を辞めてからは、毎日が楽しくて、苦痛を耐えて働いていたんだと思う。
そこそこ、人脈もあったのでトレーナーとしての仕事もありがたい事に頂いてた。
独立後2ヶ月で、前職の給料の2倍は稼げた。
本当に毎日休みなく仕事した。1日4時間睡眠でも普通だった。
心の中で、前職のバカにしてきた人たちを見返してやりたかった。
しかし、心の中である葛藤が生まれ始める。
仕事も沢山貰っていて充実したフリーランス時代だったが、何か違う。そう感じ初めていた。
そんな中でも、キャッシュの高い仕事ばかりを選んで仕事をしていた。あまり好きではない仕事もあった。でも、付き合いとかで契約を切るのが難しかった。
仕事とは…?葛藤の日々。
少し話は変わりますが、
貴方にとって仕事とは何ですか?
お金にしか目がない僕は、ここを見失っていた。
稼いではいたが、フリーランスゆえ孤独だった。
仲間や組織がいかに心強いか。そこで初めて感じた。
一人で生きていけるが、仲間と働いた方が楽しい
孤独の道に入った事で、いかに人との繋がりが大切か。人が喜ぶ姿がいかに嬉しいか。本当に強く実感した。
社会人になって色んな事があり、色んな体験ができた。
そして、葛藤しながらフリーランスとして働いている時に「トレーナーが一生その道で生きていく必要なんてない」と、誰かのTwitterのタイムラインで流れてきた。
その時、偶然今の会社と出会う。(医療系でもスポーツ系でもない異業種)この会社では、『働く』って事に対して、物凄く熱意を持って楽しく働いている人が沢山いた。"仕事って楽しむもの”僕は肌で感じ、入社を決めた。外から見ると自営業から会社員に戻った。と言われるかもしれないが、そうじゃない!好きな人達と楽しく働きたい!雇われだとか、雇われじゃない。だとか関係ない。
そう、自分で決めてからは周りの目なんて気にならなくなった。
一人のトレーナーとしての今後
僕は、トレーナーとして身体を改善するだけではなく、その人の心や人生に寄り添った人間になりたいと思う。
転生支援やコーチングも今後、僕のセッションに入れていきたい。
そして、今後人の人生を豊かにできるような人になりたい。
Thamk you.